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住職の虫めがねバックナンバー

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内       容 《バックナンバー》 
 
No.20【平成28年 4月24日】

諏訪盆地にも本格的な「春が来た」。
野山は百花繚乱、木々の緑は目にまぶしく、一年で一番良い季節を迎えました。
お寺も役員の皆さんが資料万端整えて、門信徒会の総会が開かれ28年のスタートをいたしました。
各ご家庭においても既定の年中行事に加え、今年は、お寺とどう関わっていくか計画を立てましょう。
亡き方の「月命日」や「祥月命日」を記念日として7時のお朝事(晨朝)や日曜礼拝にお参りするとか、法事の計画を立て、縁者に連絡をするとか・・・。法事(仏事)は、決して亡き人に「お経」を聞かせるためではありません。報恩感謝の誠を捧げ、「お経」を聞かせていただくのです。
「お経」は、仏さまから生きている私たちへの説法・メッセージを聞かせて戴くことなのです。
従って法要の際の「お話し:法話」が一番大切なのです。
併せて、親戚縁者との「絆の再確認や再構築の場」でもあり、親から子への「命の相続」をする確かな場ともなる、大切なご縁です。

 

 No.19【平成28年 4月19日】

熊本県と大分県では、いまなお余震が続き避難所等で不安な日々を過ごしておられる皆様に、重ねてお見舞いを申し上げます。
わたくしたちの宗派・浄土真宗は、国内だけでも全国に1万有余ヵ寺があり、熊本教区には468ヵ寺、大分教区には289ヵ寺(ちなみに長野教区には109ヵ寺)もあります。
本日(19日)より、被災された同じお仲間(御同朋)の方々に少しでもお役にたてばと、愛の手(義援金)を差しのべたいと思います。お寺にお足を運ばれた折にご協力をお願いいたします。
なお、お寄せいただいた義援金は教区、本山・西本願寺を通じ被災地にお届けいたします。

 

 No.18【平成28年 4月16日】

14日夜、「熊本地震」が発生しました。その後も余震が頻発しています。
被災された多くの方々に心からお見舞いを申し上げます。
長野県は糸魚川―静岡構造線の上にあり、岡谷市は平成24産業技術総合研究所地質調査総合センター(茨城県つくば市)によって、敬念寺境内裏手の畑地を深さ十数メートルのトレンチを掘って調査を行いました。
その結果岡谷市街地でも、横ズレの活断層のあることが確認され「岡谷市役所―敬念寺活断層」と命名されています。同時に発見された遺物から、およそ2300年前の断層崖とも推定されています。
このたびの地震も他人事ではないと思い、ご縁の方々に防災袋の点検を呼びかけたところです。

【*敬念寺だより107号の6ページに「断層崖」の写真を載せてありますのでご覧ください。】



 No.17【平成28年 4月11日】

寺は社会的な存在ですが、案外、社会への情報発信力に欠けているきらいがあります。
当寺においては、普段、関係者(門信徒)には寺報「敬念寺だより」によって情報をお伝えしています。
その他には、門前の掲示伝道、地元紙を使ってタイムリーに法要行事などお伝えしてもその効果は限定的です。身近さや、所属感、必要感がないと見過ごしてしまうなど、受け取る側の状況もあります。
そのよい例は、寺や宗派独自の法要・行事の参加者が限定的になってしまっていることです。
このホームページはより多くの方に、現在の寺の実情や方向性をお知らせする意図があります。
また、6月12日(日)朝7時から開催する、第5回目の「敬念寺早朝公開講座」は多くの市民に寺を開放しての「ご縁づくり」の一環です。
宗派の「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)のスローガン『結ぶ絆から、広がるご縁へ』

~そっとつながる“ホッ”がつたわる~ のささやかな実践です。


 No.16【平成28年 4月 4日】

今朝は、昨日の諏訪大社上社の御柱・木落としと川越しの興奮を鎮めるかのように、静かに春雨が降っています。
6年(数えで7年)に度、諏訪の人々の心が一つになる祭典でテレビの映像からもその熱気が伝わってきました。
浄土真宗本願寺派では、今年~来年に執り行われる【第15代專如門主「伝灯奉告法要」】に先立ち、ご門主の長野・松本両別院ご巡拝が先月30日と31日に行われました。 
親しくご巡拝されましたことに応えるべく、私共は来年414日に団体参拝の予定です。ご巡拝で親読された「ご消息(*)」の中に、「自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する」とあります。
今日、社会の大きな変貌の中にあって、「お念仏の教えを一人でも多くの方にお伝えする努力」を怠ることなく、日々お勤めする単位(寺院)としての自覚を新たにいたしました。

    【*ご消息:門主がお出しするお手紙 】


 No.15【平成28年 3月31日】

前回の“虫めがね”に反響があり、「わしも族(私も族)」が多くいることに驚きました。
お墓は遺族や後に残るものが、故人をしのぶために造るのであって、生きているものが
「自分の死後、子供たちに迷惑をかけたくないと、アレコレ心配することではないと思いますが・・・」。

亡くなった親のお墓に手を合わせないのでは、お墓の意味はありません。
生前中はもとより、「感謝やお敬いの心」あってのお墓だと思いますが、あなたはどうお考えになりますか?

 
No.14【平成28年 3月27日】

このところの低い気温のせいもあり、春のお彼岸に供えられたお墓の生花で、境内墓地は今もって美しい花園で、さながらお浄土の荘厳そのものの様相を呈しています。
しばし、世界中で起こる痛ましい自爆テロの惨状や国内の様々な社会問題を忘れさせてくれます。
お墓は大切なご遺骨を納めた聖地であり、亡き人を偲ぶよすがですが、その命と働きは阿弥陀様に抱かれてお浄土で仏様となっておられます。
彼岸中大変な質問を受け、困惑しました。
「嫌いな姑と同じお墓に入りたくないがどうしたらよいか?」と。お嫁さんにとっては重大な問題であり、真剣な顔での質問でした。
「心配はいりませんよ、遺骨に生前の感情が宿っていて、お墓の中で憎しみ合うことはありません。」
と、苦しみ紛れのお答えをしました。

皆さんはどう考えますか? 次回にもう少し深く考えてみたいと思います。  
 

No.13【平成28年 3月20日】

暑さ寒さも彼岸まで、と申します。
統計学上のことでもありますが、先人の細やかな季節感の捉え方を表していると思います。と同時に春を待ちわびる耐性すなわち、日本人の忍耐力を醸成することにも役立っていると思います。
「春には百花が咲き、秋には明月がしる。夏には涼風、冬には雪が降る。もしも無駄なことに心を煩わすことがなければ、これが人間にとって好ましい時節である。」と仏教聖典にもあります。
お彼岸は四季の中でも
仏教聴聞する(仏の教えを聞く)好季節であります。しかし、ことさらこの時だけお念仏を称えるというものでもありません。
彼岸であろうとなかろうと平生から聴聞に心がけましょう。いつでもお慈悲の中に生かせれている喜びをもって、「ご恩報謝のお念仏」をお称えいたしましょう。
(本願寺発行の冊子「お彼岸」をお読みいただけるよう、本日の春彼岸法要ご参拝の皆様に施本いたしました。)
  


No.12【平成28年 3月13日】

今年も春のお彼岸がやってきます。
彼岸の仏事は、普段、仕事などで多忙な生活をしている私たちがせめて、暑からず、寒からずのもっともよい時季に仏縁を深めようと、先人たちが大切にしてきた日本独自の仏教行事であります。
私どもは、とかく身近な人の死や病にあわないと、人生そのものに真剣な問いを持つことと疎遠になりがちであります。

「3.11」
も、17日から始まる春のお彼岸も、またそのことを深く考えるご縁、仏縁であります。
 



No.11【平成28年 3月11日】

11日の朝は久しぶりの雪で、中庭の台杉も綿帽子をかぶり真っ白でした。
あたかも、今一度、5年前の大惨事を新たな思いとして促すようでした。
午後からのテレビの特番は、何度となく私の涙線を濡らしました。
初めての秘蔵映像や、天皇陛下のお言葉をはじめ多くの人々の追悼のことば。
どれもこれも、24千人を超える亡き方々の「彼岸・浄土からの痛切な呼び声(叫び))を聞かれたもので、心にしみるものでした。