住職の虫めがねバックナンバー |
内 容 《バックナンバー》 |
No.70【平成29年 4月 2日】 昨年4月10日、東京で難病のため31歳で亡くなったお嬢さんの1周忌法要が、昨日本堂で営まれました。
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No.69【平成29年 3月26日】 あす、春のお彼岸が終わろうとする22日。 |
No.68【平成29年 3月19日】 人間の体の中で一番横着なものは、筋肉と骨格を形成する骨だそうです。
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No.67【平成29年 3月10日】 3.11を前に今週は新聞、ラジオ、テレビの歌コンまでが東日本大震災6年の節目に当たる特番や特集記事で一杯でした。 法事の刻みで言えば回忌となります。全国民が、この大惨事を終生「忘れない」ことが大切です。 被災地の復興も場所によるとまだ道半ば、6割程度の所もあり、福島原発の廃炉作業にいたっては「登山口」の状況だといいます。 被災者の苦悩は半端ではありません。岩手県大槌町の白銀さん(61才)は、母親・妻・長女の3人が未だ行方不明で死亡届も出せず、震災以来酒一滴も飲まず、諦めきれない毎日で、「あの日を経験した人間として“命を全うしなきゃ”と苦しい気持ちに折り合いをつけている」と言っておられます。 親鸞様のお言葉に「浄土にてかならずかならず待ちまいらせ候うべし」とあります。 再び会うことのできる世界・浄土があることをお知らせしたいと思います。 |
No.66【平成29年 3月 5日】 |
No.65【平成29年 2月26日】 |
No.64【平成29年 2月16日】 仏様の働きが光(光明)といのち(寿命)となって働いていることを、浄土真宗では「他力の働き」「他力本願」と言うのであります。 他力と言う字面から言うと、世間一般には「自分の努力の放棄」「人の力をあてにする」「人の言うことを鵜呑みにする」と言うような意味に誤解されています。 しかし、仏教・浄土真宗でいう他力・他力本願とは、仏様の働き、「迷いの中にいる私たちを何とか目覚めさせたい、悟らせたい」と言う願いを意味します。 決して努力せずに人任せにすることでも、棚からぼた餅を願うと言う意味でもありません。 |
No.63【平成29年 2月10日】 「光といのち極みなきあみだほとけをおがまなん」と、正信偈の冒頭の一句に「帰命無量壽如来 南無不可思議光」とあります。 すなわち、『「南無阿弥陀仏」と言うお念仏は真如の仏様を私の人生の拠り所として仰ぎます。』という意味なのです。 お念仏には阿弥陀如来の、私を悟らせたい、迷いから救いたいと言う願いと仏様の行が凝縮され込められています。従って、私が称えるお念仏は「阿弥陀様の願いが私に届きました。有難うございます。」と言うご恩報謝・ご報謝のお心で発せられる称名念仏なのです。 |
No.62【平成29年 2月 5日】 お念仏は呪文やおまじないの言葉ではありません。 南無阿弥陀仏は仏様との交信の言葉です。人から呼ばれると「ハイ」と返事するように、仏様から私を救いたいというお心を受け取ったら、私は明るく返事(お念仏)をするのです。 「南無阿弥陀仏」を分解して説明しますと、「南無」は“帰依するおまかせする“と言う意味で私の人生の拠り所と仰ぐことを言います。 「阿弥陀」は“量ることのできない”という意味で“量ることのできないひかりといのち極みない働き”を指します。「仏」は“如来”と同じ意味で“真実・真如から来たれる者”を言います。“真如”とはこの世界の真実、時間と空間を超えた道理・悟りであります。 |
No.61【平成29年 1月29日】 【念仏中迎春】 新年となり早や1か月となろうとしております。 若者ばかりでなく一般的に現代人の「念仏観」は、呪文やおまじないなど願い事の時やお葬式の時の言葉位で、お年寄りの称えるものと思われがちであります。 葬儀や法事の際「お念仏を称えましょう」と申しても、気恥ずかしそうに機械的に称えるだけです。 それはお念仏の心を理解しないことで、無理からぬことであります。 「お念仏」すなわち「南無阿弥陀仏」の心や働きについて、次回少しお話ししてみましょう。 |