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住職の虫めがねバックナンバー

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内       容 《バックナンバー》

No.60【平成29年 1月22日】

今日22日は珍しく日曜礼拝以外、法要がなく長時間のテレビ観戦となりました。
広島の第22回47都道府県対抗男子駅伝と大相撲千秋楽を見ました。
中学・高校・大学と、歳の差のある選手が一つの目標に向かって一丸となり、日頃の厳しい練習に耐え渾身の力を出し切っての長野県の優勝は見事でした。
長年、全国民の期待を背負っての稀勢の里の優勝と横綱昇郷土力士「御嶽海」の活躍・技能賞受賞は美味しいお酒のつまみとなりました。

 
 
No.59【平成29年 1月15日】

1月10日の長野日報(諏訪地方紙)のお悔やみ欄は5件の「永眠の御知らせ」で埋まった。
寺報「敬念寺だより」第119号「小僧の目」の通り的中と言うか、世の趨勢と言おうか少し異常な社会現象と映った。
「9*歳の天寿を全うし永眠いたしました。ここに謹んでご通知いたします。なお、誠に勝手ながら故人の遺志により葬儀は〇〇で行いました。生前、故人に賜りましたご厚情に心より御礼申し上げます。」
自分の遺志を言えないぐらいの長命を得たり、長らく病床で介護にあったものが自分の葬儀を形のごとく出して欲しいと言えるでしょうか。
「これ以上迷惑をかけてはすまない」という心情を、残ったものが素直に受けてよいでしょうか。
人間が生きるということは目に見えない働きを含め、多くのおかげがあったからであります。
後の残ったものは、いろいろな事情があろうとも葬儀前に世間に対し、通知と御礼を申し上げるべきと考えますが・・・。  あなたのご意見は?

 
No.58【平成29年1月8日】

今年も阿弥陀如来の尊前で、お念仏と共に新しい年を迎えさせていただきました。
誠にありがたい事であります。 「どんな一生でも一日一日からくみたてられている。今日一日くらいを、と軽く考えては
ならない。今日一日こそわが一生である。人間の将来の幸福の花も自分自身の今日一日から生まれ育つのである。」 -青春の警鐘からー
一年の計は元旦にあり、今年こそはといろいろ考えましたが、遠大な計画でなく「今日一日を充実した日暮しを送ろう」と計画を立てました。 全ては今日一日の積み重ねでできているのです。 「一日の努力を飛び越して、結果だけを得ようとしないで着実に生きよう」を、年頭の所感といたしました。



No.57【平成29年元旦】

大悲無倦常照我

      ―正信念仏偈―

平成29年の年頭にあたり皆さまのご栄昌を心より念じ上げます。
    合 掌

*元旦会を厳修いたしました。  



No.56【平成28年12月25日】


折々に、思うがままつづってまいりました「住職の虫めがねも満1年を迎えました。
これもひとえに目に見えない、多くの皆様の影の力によるものと感謝いたします。
年末に当たり、戴いた「いのち」、お借りしている「いのち」その「いのち」をささえ、犠牲になっている多くの「いのち」に対して心から感謝、合掌してレンズをおきます。

 ◎昨年12月15日に開設した当寺ホームページ1年間のアクセス状況

           13,730件(1か月平均1,144件 1日平均38件)

      お陰様で多くの皆様に見ていただき、ありがとうございました! 



No.55【平成28年12月17日】


調べてみますと葬儀の際の「清め塩」に限らず仏事で塩が使われるのは法事の時のお墓参りの後、お斎会場入り口に塩で手を洗う用意のある場合がありますが、お盆やお彼岸などのお墓参りなどでは皆無です。
かつては、お墓も「穢れの場所」と捉えられていたのだと思います。
神道では死を穢れとして扱っており、この穢れを祓うために塩で身体を清める、その清めの式を
「禊(みそぎ)」と言い、古代より禊に海水・塩が使われたことに塩と神道との起源があると思います。

仏教(浄土教)の「浄土へ往生する」、とは大きく違います。
新しい年・2017年を迎えるに当たり、神道・佛教の違いを超えて共に人類の福祉に貢献してまいりたいものです。 



No.54【平成28年12月11日】


物事が定着するには長い時間が必要です。
葬儀の「弔問受付」の時間は、葬儀の30分前(場合によっては1時間前)が定着いたしました。
これは平成8年ごろ岡谷市仏教会が発議し、キャンペーンしたことに始まります。昔は葬儀前後長時間にわたって遺族が表に立って行われ、特に上諏訪方面は棺前式(葬儀)後1時間、告別式として遺族が表に出て挨拶するなど、とりわけ冬場は大変でした。
今では諏訪地方全体、葬儀前30分が一般的となりました。
次に会葬御礼のはがきに「清め塩」が入っているのをたまに見受けますが、これも少なくなって来ました。清め塩は何のためでしょうか?
次回にお話ししましょう。



No.53【平成28年12月 5日】


今年も残り1ケ月をきりました。
郷土力士の活躍で、相撲人気も高まった1年でもありました。
行司の掛け声に「あとうない」と声掛けし、力士の奮起をあおることがあります。
人生も「あとがある」「つぎがある」と思えば、過度な緊張感は無くなりますが日頃疎かにしていた片付けや整理、まとめもできずじまいになりがちです。
人生もまた同様で、今年やらねばならぬことは来年に延ばさず、
怠惰な心を戒めましょう。
私」の命もいつか終わる時が来ます。
今年一年、きょう一日を常に新しい気持ちで締めくくり、新しい年を迎えましょう。 



No.52【平成28年11月27日】


24日の朝は今年初の降雪に見舞われ、四囲真っ白な雪景色となりました
11月としては気象台観測開始以来の記録を更新したそうです。
めっきり陽足が短くなり、冬が駆け足で近づいてきました。
まだ冬用タイヤの履き替え、漬菜の手配も終わらず冬の心準備も追いつきません。
年賀欠礼の挨拶状も毎年舞い込み年末の様相を呈し、世の無情を感じます。
今年の締めくくりと共に、人生の良い区切りとしたいものです。


 
No.51【平成28年11月16日】

平成28年度報恩講を無事お勤めさせていただきました。
お手間かかりし菊の花、名もある可憐な野草、心を込めた力作ぞろいの門信徒の作品が多くの参拝の皆さんをお迎えし、好天の中境内にお念仏の声がこだまいたしました。
『“阿弥陀如来の本願は、必ず救う任せよ”と「南無阿弥陀仏」のみ名となり絶えず私に呼びかけます』の教えは、どの宗教にもまさりシンプル・イズ・ベストと、熱ぽっく親鸞様を讃え、お取次ぎをされた宮崎幸枝先生。 有難い法要となりました。