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住職の虫めがねバックナンバー

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内       容 《バックナンバー》

No.110【平成30年 2月 4日


今年も節分を前に、新聞などメディアを通じ厄年の祈祷の便りが賑やかに宣伝されました。

その中で年男、年女の数え方や60歳以上には厄年の当たり年がないことにも疑問を持ちました。

まじないもゲン担ぎも宗教なのでしょうか。

どんなに祈り願っても生あるものは必ず死に帰し、老いも病も避けられないことを釈尊は身をもって示して下さいました。

病は医者に任せ、神仏に頼るような期待を抱かせる風潮はいかがなものでしょうか。

身は病んでも心は迷わずに、強く明るく生きていきたいものです。

 


No.109【平成30年 1月28日】


イギリスでは政府に孤独担当大臣を設置したという。

人口6560万人の英国ですが、高齢者に限らず孤独を感じている人が900万人。

友人や親戚と1か月以上会話していない人は、約20万人と報告されているという。

これからメイ首相は、国策として党派を超えてこの社会問題の課題に取り組むという。

そう遠くない将来、日本も他山の石として学ぶべき問題となりそうです

本山・西本願寺では実践運動のスローガンとして「結ぶ絆から 広がるご縁へ」を掲げ取り組みを始めています。

お寺も日々の教化活動中で、地道に「ご縁」の輪を広げていきたいと思います。

 

平成30年 1月16日】

御正当法要(親鸞聖人様ご命日の法要)をお勤めいたしました。


No.108【平成30年 1月16日】
昨年暮れ左目の白内障の手術を受けました。

目は心の窓と言います。曇りガラスでしか見えなかった世界がお浄土の景色に変わり、文字通りの新年となりました。

人間の体はどこが悪くても不都合ですが、その中でも目が不自由なほど生活に支障があります。

10年ぶりに1万語を加えた広辞苑で、「め」の項を開いてみました。

他の語と比べ説明や用語例のスペースが多くとってあり、それだけ日常生活に重要な働きをしていることも改めてわかりました。

 

No.107【平成30年 1月 7日】
セリ、ナズナ、ホトケノザ、ゴギヨウ、ハコベ、スズナ、スズシロは春の七草です。

正月のご馳走で疲れた胃のためにも、新年や春を待つ心にもふさわしい
七草粥の伝統行事でもあります。

近年それらの伝統も怪しくなってきました。ハロウィンや商戦に組み込まれたクリスマス、バレンタインデーなど、日本古来の文化を大切にしない風潮を嘆くのは「むしめがね」だけでしょうか。

「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」

家族で百人一首などを楽しみ、絆を確かなものにしたいものですね

 


No.106【平成30年1月1日】

念仏中迎春 新年あけましておめでとうございます

No.105までにアクセスして下さったみなさま。今回初めてご覧になられた方、当山のホームページにご縁をいただき誠に有難うございます。

人生は不思議なご縁の連続と申します。このご縁がお念仏のみ教えや人生を深く考える良いご縁になりますことを念じ、新年のご挨拶といたします。

たまたま「虫めがね」でお会いいたしましょう。

 


No.105【平成29年12月17日】

お釈迦様がお悟りをお開きくださった日を、「成道会」(じょうどうえ)と言います。

悟りを開き真実の道にいたる実践道として、六波羅蜜・六度の行をお示しくださいました。

その一つに「布施行」があります。

布施には真実の教えを広める「法施」、金銭や物品を与える「財施」がありますが、たとえ金品がなくてもできる「無財の七施」があります。

その一つに「眼施」(まなざし)があります。

柔らかい顔、温かい言葉など布施の行為は無尽蔵に広がります。 

明日18日は、視力0.03の左目の手術をいたします。

新年には明るく見える目になってお目にかかれると思います。

 
 

No.104【平成29年12月10日】

世の中がどんなに変わっても、また自分自身がどんな苦難に出遇っても失われることのないもの、絶対に安心できるものを身に着けることが大切です

この絶対に安心できる究極の拠り所こそ「法・仏法」です。

この法を求め、法を身に着けるために求法・聞法・聴聞(仏法を聞信すること)をするのです。

この聞法によって悔いのない人生が開かれるのです。

それは一度だけでなく生涯にわたって続けられるべきです。


No.103【平成29年12月 3日】


年の瀬~新年を迎えるに当たり、「本当の幸せ」について考えるのも無意味なことではないと思います。

本当の幸せとは、人生に心からの喜びと感謝の念を持つことのできることではないでしょうか。

そうしてこの事こそ、悔いのない人生を開く鍵であると思うのです。

人間はいかに物に恵まれ、健康であり、能力があり、地位や名声があっても、それで満足することはありません。

つまり、いつもそれ以上のものを求め、また、求めたものが失われることに不安を感じ悩んでいます。

それゆえに、財産や地位などは絶対的な安心を与えてくれないのです。    ()

 


No.102【平成29年11月30日】


今年もいろいろな事件がありました。

中でも神奈川県座間市のアパートでの男女9人がみつかった事件はいろいろと考えさせられました。

「私」の人生はかけがいのない人生であり、また二度とない人生なのです。

その人生をいかに生きていくかと言うことが、最も重要な課題です。

その中でも悔いのない人生とは、どんな人生と言えるのでしょうか。

いつの時代・社会でも人間は「幸せ」を求めて生きています。しかし、私たちの求めている幸せは人によってまちまちです。

物に不自由しない豊かな生活送ることが幸せであると考える人もいれば、社会に役立つ仕事をするのが幸せだったり、地位や名声を手に入れることが幸せだと考える人もあるでしょう。
では本当の幸せとは?   ()  

 

No.101【平成29年11月20日】


を人生にたとえるなら、高齢期いや超高齢期にたとえられます。

心身の衰えや退職後の生活、別離の悲しみ、寂しさ、生きがいを失った精神的な不安による悩みが多くなりますが、九条武子さんの歌に 「みづや君 明日散りなむ花だにも ちからのかぎりひとときを咲く」とあります。

秋の紅葉の様子はまさしく、最後のひとときを精一杯美しい姿を見せ散っていきます。
お互いの人生も、そのようにありたいものです。

その美しい季節も一足飛びに冬将軍の到来となり困惑しております。